07/01/19-07/31/19

  • 6月の研究会の議論を受けて書評論文の改稿を試みていた。
  • 同時にアカデミックライティングの講義のほうは、最後の3回分くらいはかなり自由に講義をしてよいことになっているので、基本的には伊勢田哲治の『哲学思考トレーニング』を使って、新聞とか雑誌に掲載されているエッセイを再構成して飛躍がないかどうかを検討するみたいなワークをやってもらっていた。やはりこの本は学部生が最初に読むべき本として(多少の解説をこちらで適宜行いさえすれば)ものすごくおススメできる。

 

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

 

 

  • 7月第2週の週末の金曜日から、長いこと飼っている文鳥の調子が目に見えて悪くなっていった。今年で9才になったのだが、去年あたりから飛び回り方などにちょっと衰えを感じるようにはなっていた。最初はそうした衰えが進んでだけなのかなと思っていたし、病院の診察でも明確な診断が下ったわけではなかったのだが、病院から帰ってきたあとの夜にはもうほとんど止まり木に掴まれなくなっていた。止まり木の上でバランスを崩しそうになるのでその度に翼でバランスを取るみたいなことを繰り返していたが、その間全然眠れていなさそうなのが気の毒だったので、一旦小さなキャリーケースに移して寝かせることにした。
  • 夜が明けて土曜日には鳥かごから完全に止まり木を撤去して、地べたに座るみたいな感じで餌を食べられるようにセッティングし直したところ、一日中ゆっくりとではあるが落ち着いて餌を食べ続けていたので、まあこのままずっとこんな感じで介護が続くのかなあと思っていた(とはいえこの段階で脚を触ってみたらほとんど硬直した状態になっていることには気づいたのだが)。土曜日の夜も鳥かごがある寝室の豆電だけ消さないでおいて、ちゃんと寝息を立てているかどうかを時々見ていたのだが、14日の日曜日に日付が変わるくらいのタイミングで20分ほどメールか何かを書くために眼を離したところ、その間にちょっと場所を変えてもう動かなくなっていた。
  • 僕は子供の頃にも何度か小鳥を飼ったこともあるし、それらの死を看取ったりしたこともあるけれど、今回の文鳥(ちなみに名前をまるさんという)の死は、どういうわけだかそれらとはもうちょっと違った水準で衝撃を受けた。実際パートナー(たち)にまるさんの死を改めて語るときに二回も泣いてしまったくらいだった。
  • といってもそこにあったのは単純な心境の変化というよりも、僕が年齢を重ねたことと、この間の動物医療の進歩によって、言葉を持たずに死んでいく小鳥に対して、それでも自分が取れる選択肢の範囲が大幅に拡張したという事情があるように思われる。つまり小鳥の治療の発展というのは興味深いステージにあり、一方で関東圏には何軒か小鳥専門の病院が出来るくらいには進歩してきているのだが、他方でまだ(哺乳類と比べて)十分に研究が進んでいるとは言えないところがあるというようなことを獣医師自身も言っていた。動物病院での診察もどうしても不確定要素が多く、症名が確定してある治療法を助言されるというよりも、いくつかの可能性が提示された上で、かなり対等に近い立場で話し合って治療の方針を決めていくという性格が強いものになる。その結果として、自分たちが取った選択肢が他のものよりも本当に正しいものだったのかという疑いと後悔に強く苛まれることになるわけである。これに対して、僕が子供の頃には小鳥の死というものはもっと厳然として運命の領分に属するような出来事だったような気がする。
  • 今回の場合、上に書いたようなことを考えられるようになるということとほぼ軌を一にして、ちょっとずつ悲しみから回復することができた。誰かの死を見送るということは、見送る側にとってどうしても強い後悔を残しがちなのだということがよくわかった。

 

  • とはいえ7月後半はあんまり悲しんでいる暇もなく仕事が追いかけてきた。成城の講義の期末試験、追試、採点とほぼ同時に神戸大学でのワークショップへの出張が重なり、だいぶ忙しいことになった。7月25日に神戸に行った日は、ようやく梅雨が明けて乾いた暑さが到来しており、なんだかうれしくてなんの変哲もない雲の写真を撮ったことを覚えている。まるさんを看取った7月の半ばくらいはまだ東京の梅雨は明けておらず、湿度が高いから小鳥の熱中症を避けるために保温も25度を越えないくらいがよいという助言を獣医師に受けていたのだが、そもそも最高気温が25度を上回るかどうかというくらい7月にしては肌寒い気候だったのである。
  • そういうことって数年も経つと忘れてしまいそうなので、ここに書いておいた。

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06/24/19-06/30/19

 火曜日に講義。それから引き続き28人分の中間レポート採点と内容に踏み込んだコメントを書くという作業を行った。昨年度の反省(コメントを別紙にワードで作成していたら一人当たりの字数が平均で1,000字を越えてしまった)を生かして、紙に出力したレポートの余白に書ける範囲で手書きでコメントするというやり方を採用したのだが、確かにこちらのほうが細かい赤入れと総評的なコメントの対応が目で見てわかりやすく、字数も一定程度に収まるというメリットを実感しつつも、右腕を酷使した結果として肩が痛くなるという副産物に悩まされて困った。

 肩の痛みの余波を受けて論文執筆は引き続き低調に終わる。

 しかし前々から予定を入れていた内輪の検討会の当日である土曜の朝になってからようやく気合を入れ直し、一時間くらいで今まで書いていたメモをつなぎ合わせて一応頭からお尻まで読める状態にして持って行く。本来的にはこういう作業を最初にやって大枠を作っておいてから、細部の調整に向かうべきだと思うのだが、いつも締切の直前になるまでアウトプットのクオリティについてのハードルをなかなか下げることが出来ずに結果的に作業に手を付けられない、という悪循環に陥りがちなところは反省点である。しかし毎回わかっていてもなかなか改善するのは難しい……。

 検討会での議論は(久々に他人と研究の話をしたこともあって)大変面白かった。やはり定期的に本業の研究について話す時間を取るべきなのだろう。あと、他人の研究計画や草稿についてコメントするという活動が、やはり私はそれ自体としてけっこう好きである。

 そこでの議論に触発されて、久々に歴史的研究と現在の問題に対する規範的提言の関係について考えるところがあったので、イアン・ハッキングの「哲学者のための2種類の『新しい歴史主義』」論文を久々に再訪していた。歴史的研究をやる上で論者の規範的関心と歴史的分析をどのように折り合いをつけるかということは難しい問題であって、ハッキングのこの論文はこうした議論に関係しているのが、おそらくここで彼は少なくともその一つのやり方を明確に否定している。

問題がどこから出てきているのかを理解すれば、それによってその問題は消え失せてしまう、という素晴らしいアイディアがある。これをヘーゲル的と呼ぶのは正しい。また、この考え方は、フロイトウィトゲンシュタインの中にも同じように見いだすことができる。『狂気の歴史』やその他の初期の著作におけるフーコーからも、このような考えは、単なる雰囲気以上のものとして見てとれる。私は、このアイディアはまったくの間違いだと考えている。自分が理解しているところでは、例えば偶然や虐待についての私の研究は、自由意志の問題や、国と親と子供のそれぞれが持つ権利についての問題を解決しようとするものではない。私は決して、核心にまで達したらその問題は消えうせるはずだなどという馬鹿げた独善的な考え方はしない。私にできるのは、これまではそこに何か問題があることが分かっていたようなことについて、なぜそれらの事柄に問題があるのかを示すことだけである(Hacking 2002=2012: 160)。

 この議論は、しばしば「現在に対する他の可能性を求めて歴史的研究を行う」式のレディメイドな議論に訴える歴史社会学者に対する痛烈な批判になっていると思われるが、かといって現在の歴史についての探求がなんらかの意味での現在の問題をよりよく把握すること(そして場合によってはその状況を改善すること)につながりうるということをハッキングは決して否定していないと思われる(もし彼がそうしたつながりを単に否定しているのだとしたら、同じ論文のなかでシェイファーとシェイピンの仕事について肯定的に言及しながら「こうした歴史記述は、その対象が一九七〇年代であれ一六五〇年代であれ、過去についての単なる好奇心から出てくるようなものではない。彼らが意図していたのは、われわれがいま直面しているこの現実や、われわれが現在行っている推論法、それに、現在の我々の研究様式について、何ごとかを示すことである」(Hacking 2002=2012: 150)とは決して書かなかっただろうし、そもそも児童虐待や多重人格といった概念をめぐる一連の「現在の歴史を書く」というプロジェクトもありえなかっただろう)。ではそうした繋がりは、一体どのような書き方を採用したときに最もうまく示すことができるのだろうか、というのが次に我々が取り組むべき問い(というか課題)となるだろう。

知の歴史学

知の歴史学

 この点以外にも「哲学的分析とは、概念の分析である。概念とは、然るべき場所に位置付けられた語のことである」(Hacking 2002=2012: 155)という断言などについて、改めて考えさせられるところが多かったと記しておく。

 しかしこれでようやくHistory & Ethnomethodology Blogっぽくなってきたな。

06/17/19-06/23/19

 先週分の日記に書いた通り、休講でできた時間を使って引き続き書評論文の執筆に取り組むも不調に終わる。それとは別に木曜日にレポートを28人分まずは形式的なところだけチェックして返却した。形式的なチェックだけならそれほどの負担でもないですね。

 ところで最近身の回りの人と話したり、Twitterの議論を追いかけたりしていて、「他のものの権利を勝手に代弁してはならない」とか「命の選別を行ってはならない」というような、人間に関して適用するならば極めて真っ当な倫理規範を信奉する(尊敬すべき)人たちが、なぜかそうした倫理を掲げることで菜食を批判することがあるのはなぜなのだろうかということについてちょっと考えていた。確かにヴィーガンは動物の権利を勝手に代弁しているように見えるし、また「植物を食べることはよいけれど動物を食べることはよくない」という形で命の選別を行っているように見える、というのはわからないでもない。
 しかしながら、よくよく考えてみるならば「他のものの権利を勝手に代弁してはならない」という規範は「権利について語る手段を持たないものの権利については一切考慮しなくてよい」ということを含意していないし、また後者の「命の選別を行ってはならない」という規範に関しては、非菜食者が動物を食べるときであっても、人間を相手には決してしないようなことを動物に対してもよいと前提することによってはじめてそうしたことは可能になっているということを思い返すならば、厳密には守ることが不可能な規範であると言える*1。したがって、非菜食者がしばしば言及するこれらの二つの規範は、実は「動物を食べる」ことと無関係であるか、さもなくばまさに「動物を食べること」と抵触するような規範であったりするのである。

 そのように考えると(以下は飛躍を含んだ想像だが)こうした二つの規範を挙げる人たちは、実は何らかの規範的原理を挙げることで動物を食べることを正当化しているというよりも――というのはもしもそうだとするならば以上に述べたようにそうした議論はいずれもあまりにも容易に反駁できてしまうように見えるので――むしろ何かを食べるということを道徳的反省の下に捉えるということそのものを拒否しているのではないかと最近は考えるようになった*2
 そしてもしもそうであるとするならば①食べることそのものを道徳的行為として捉える②その時我々が用いることになる規範は人種差別・性差別・障害者の権利・中絶といった様々なトピックにおいて我々が依拠している規範と(議論の持って行き方にいくつかのやり方があるにせよ)かなり広範な一致を示していることを知る、という二つのステップを踏みさえすれば、特に上で挙げたような自己決定と権利についてあらかじめかなりの関心を持っているような人たちは――実行上の様々な障壁の問題はさておき――理論上は容易にヴィーガンに転向することが出来るということになるはずである。
 とはいえもちろん、この第一のステップのハードルこそが最も高いというのは、自分の身を振り返ってもよくわかる*3。実のところ私自身の場合においてすら、いくつかの偶然的要素が重なってたまたまこのステップを踏み越える慣性が働いたにすぎないような気はしている。

*1:ちなみに菜食主義の標準的な倫理的教説は、私の理解した限りでは、このようにして人が何かを食べるときに生命を選別することが不可避であることを認めた上で「その境界線を人間と動物の間ではなく動物と植物の間におくべきだ」ということを主張している。

*2:「拒否している」という言い方が強すぎるようであれば、「多くの人にとって何かを食べるということはそもそも正当化を免れるような実践としてある」くらいに受け取って欲しい。

*3:このことは我々が普段何を食べるかを決めるということは特段の道徳的行為ではないと思わせるような様々な仕組みが機能していることによって可能になっているだろう。そうした個々の仕組みを特定することには個人的にはけっこう関心がある。