06/03/19-06/09/19

  • ESRCのWriting-Up Bursaryのようなものに通ったので来年の始め頃に再びエディンバラ大学に二週間ほど滞在できることになった。やったぜ。
  • さらに5月末まで取り組んでいた某共著論文がひと段落したので、多少講義準備などに関連する幅広い本を読む暇もできた。 
動物からの倫理学入門

動物からの倫理学入門

 
  • この動物倫理本の前半の4章分を何度か読み返し(もう今年の3月からヴィーガンになってはいたのだが)今更ながら色々と頭が整理された。
  • 「なぜ(動物を食べてはいけないのに)植物は食べてもいいのか」と非ヴィーガンに問われた場合の標準的な答えというものをヴィーガンの側は持っており、 それは例えば「動物には脳と神経系のセットが備わっており意識経験があるが、植物にはそれらはない」というようなものになる。こういうことはヴィーガニズムについての入門書を読めば大体書いてある。
  • しかしこうした答えだけを単独で切り離して見ると、特に契約論的リベラルに慣れ親しんだ立場からは、よくて突飛、悪くすると不穏なもののように映る、ということはある気がする(というか私自身最近までなんとなくそう思っていた)。
  • というのは、この答え方自体には「ある生物が持つ事実にかなり厳密に対応するかたちで権利を配分する」という論法が含まれているように見え、それは「少なくとも人間同士の間においてはいかなる事実的特性を持っていようが等しい権利を配分していく」という従来のリベラリズムが基本的には踏襲してきた契約論的発想とはうまくフィットしないように見えてしまうからである。
  • しかしながら、契約論的発想とヴィーガニズムを両立させるやり方もあるということが、この本の前半部と結論を読むことでおおよそ掴むことができた。 つまり、その人が持つ特性はどうであれ人間であるということを理由に幅広く権利を認めようと努力してきた我々の歴史を尊重しつつ、そうした権利を人間以外にも拡張するというステップ――そしてこの拡張という指し手そのものは普遍化可能性の基準(テスト)で基本的には正当化できるだろう――においては生物学的事実を用いる、ということにすれば、おそらく動物の権利と契約論的リベラリズムの発想は整合的なものとして理解することができるようになる。
  • 時間を見つけて第II部の発展編も読んでいこうと思った。
大学で学ぶ議論の技法

大学で学ぶ議論の技法

 
  • 去年あたりからいくつかの大学の初年次教育にも携わることになったので、割といい評判を聞いたこのテキストの前半部を読んだ。
  • そのまま使うにはレポートの例などが(文化的な違いなどゆえに)ちょっとハードルが高いかなと思わせるところもあるが、確かによい本だと思った。立場の分かれうる社会的なトピック(例えば死刑・中絶・動物の権利)について、根拠を挙げて自分の意見を述べるということが出来るようになるために必要な事柄が十分に書かれているという印象を持った。
  • 最近いくつかの大学が独自に作成しているアカデミックライティングのガイドブックと比較すると①型をそれほど重視しない②事実をまとめることより意見を述べることを重視する、という二点において明らかに違いがあるのだが、そういう点も含めて自らを相対化する*1ために教員は読んでおいたほうがよい気がする。
  • 多分日米の大学のライティングで何を教えるかということにおいてこうした違いが出てくるのは、学部で卒論を課すかどうかなどの違いも効いているのではないだろうかと思った。

*1:日本のライティングの講義において「レポートでは意見ではなく事実を書け」とか「自分の経験は書くな」みたいなことを課題の分析抜きにドグマティックに教えたりするのは正直どうかと思う。

Solovey, Mark, 2001, ”Project Camelot and the 1960s Epistemological Revolution”

  • Solovey, Mark, 2001, "Project Camelot and the 1960s Epistemological Revolution: Rethinking the Politics-Patronage-Social Science Nexus," Social Studies of Science 31(2): 171-206.

http://sss.sagepub.com/content/31/2/171


目次

  • 第二次大戦終結直後における軍の援助と科学的正統性の追求
  • 政治的な表舞台へ向かって:キャメロット計画の構想
  • 暴かれる政治-資金援助-社会科学間の関係
  • 社会科学というプロジェクトにとってのより大きな帰結:資金援助・イデオロギー・価値中立性
  • 結論
  • Appendix

内容

  • キャメロット計画とは、1960年代に軍によって資金援助を受けて始まったアメリカの社会科学的研究プロジェクトだったが、国内外の批判を受けて頓挫した。本稿はこの計画をめぐる政治的論争こそが1960年代に始まった「認識革命(ピーター・ノヴィック)」の大きな原動力となったということを論じる。本稿の論点は以下の三つである。
    • 第一に、1960年代に始まった支配的な社会科学観への挑戦は(ノヴィックが主張したように)学問内部の論争からではなくキャメロット計画の挫折という極めて政治的な論争がきっかけとなって始まったということ。
    • 第二に、この論争によって、人々は冷戦のポリティクスがアメリカの社会科学を形作るということに注意を向けるようになったということ。
    • 第三に、キャメロット計画の始動期において政治-資金援助-社会科学の関係への批判的反省が、「客観的で価値中立的」なものとしての社会科学という当時の支配的な理解への抵抗を生み出していったということ(171-173)。
  • 第二次世界大戦終結直後、アメリカの社会科学は自然科学(特にレーダーと原子爆弾という形で戦争に貢献した物理科学)の成果を尻目に、自らの科学的正統性と政治的有効性をどのように訴えるかという問題に直面していた。
    • 設立されたばかりのアメリカ国立科学協会(National Science Foundation: NSF)の指導者を占めた自然科学者たちは社会科学への懐疑的姿勢を崩していなかった。
    • 1940年代にはすでに軍委託研究の中心となっていた海軍研究局(Office of Naval Research: ONR)は、心理学以外の社会科学を全く援助していなかった。
  • こうした状況においては、軍と友好な関係を築くことが社会科学にとっての重要な戦略となった。
  • このような軍事科学研究を進めるにおいて重要だったのは、自らの物理科学への志向を積極的に示すということであった。大統領科学諮問委員会(President's Science Advisory Committee: PSAC)の1962の声明も、物理学と生物学と同じ手法を用いることによって「行動科学」は進歩を遂げつつあるのだと述べていた
    • この「行動科学」という概念は、1950年代以来のフォード財団による「行動科学プログラム」に由来するものであり、社会主義との混同という誤解を嫌った社会科学者たちによってしばしば用いられた。また、歴史的・質的ではなく量的・数学的な分析への選好も、自らを自然科学になぞらえようと試みた社会科学者たちの戦略の一部として理解できる。
  • こうした状況において、学問の客観性や自律性の問題は無傷のままであったように見えた。1940年代から50年代にかけては、歴史家、哲学者、科学社会学者たちでさえ、科学と政治、研究と改革、学問とイデオロギーは単純に区別できると考えていた(173-179)。
  • ケネディとジョンソンの民主党政権期においてアメリカの社会科学がおかれた状況は劇的に改善された。両政権は心理学、社会学、政治科学、人類学、経済学の研究者をアドバイザーとして重用した。この政権の下で、1960年から1966年の間に国防総省の対反乱(counter insugency)研究のための研究費は1,000万ドルから1億6,000万ドルへと拡大し、このうち600万ドルが社会科学のために用いられた。
  • 1964年に国防総省の防衛研究・防衛工学ディレクターが防衛科学会議(Defense Science Board)に対して「小規模紛争の原因」についての学際的研究を進めるよう求めたのをきっかけとして、キャメロット計画は始動した。キャメロット計画の具体的な構想は特別オペレーションズリサーチ局(Special Operations Research Office: SORO)の手に委ねられた。SOROは軍によって支援された、半独立的な研究機構であり、1956年にアメリカン大学に設立された。
  • SOROはキャメロット計画の目的を以下の三つとした:(1)内戦につながる可能性を分析する手続きを確立すること(2)内戦につながる可能性を高めてしまうような状況を改善するために政府が取れる行動を同定すること(3)上記の二つを行うのに必要な情報を入手し利用するためのシステムの特徴とは何かを特定する可能性を検討すること。具体的な研究は南米(ボリビア、コロンビア、キューバ他)、中東(イラン)、アジア(韓国、インドネシア、マレーシア他)、ヨーロッパ(フランスとギリシャ)各国を対象に行われる計画だった。
  • キャメロット計画は当時の優れた研究者たちにとっても魅力的なものだった。それは社会全体を理解するための社会システムモデルの構築や、国家の形成過程について研究する機会を様々な領域の社会科学者たちに与えようとした。また、軍の側もこの計画を単なる応用研究として位置づけるのではなく、基礎研究であると説明した。この計画は機密指定されることもなかった(179-183)。
  • 1965年にアメリカはベトナム戦争への関与をより実質的なものとし、その結果、国防国家とアカデミアの関係についての議論は、国際社会におけるアメリカ社会の位置づけというより広い文脈に含まれることになった。この流れの中で、キャメロット計画は国家による社会科学の濫用が問題となる最初の焦点となった。
    • キャメロット計画が始動する前から、主流の社会科学に対する異議申し立ては学問内部でなされつつあった。キャメロット計画は、このような学術的議論を、国全体を巻き込んだ政治的議論へと変容させた。
  • 論争はチリから始まった。ピッツバーグ大学の人類学者ヒューゴー・ヌティーニは、キャメロット計画に参加する学者をリクルートするためにチリを訪れたが、計画に誘われた学者はこの計画が本質的に政治的なものであり、チリの主権を脅かしかねないという危惧を抱いた。ドミニカにアメリカ軍が進駐した直後であったこともあり、この問題はチリのアカデミアと政治を巻き込んだ大きな反響を呼んだ。
  • チリ政府や共産圏のメディアからの批判を受けて、1965年の7月にキャメロット計画は撤回された。アメリカの議会においてもこの問題を事後的に調査する小委員会が開かれたが、(すでに述べたように当時のアメリカにおいて)軍に支援された社会科学に対する視線は好ましいものであったため、ここでの議論は当初海外とは異なるトーンを持っていた。委員会の最終レポートは、アメリカの政策を実行するために社会科学を利用することを強く支持するものであった。委員会が開催した公聴会の議事録のシリーズは「冷戦に勝利する:アメリカのイデオロギ―上の攻勢」と名付けられ、そのうちの一巻は「行動科学と国家安全保障」というものだった。
  • しかし、ベトナムの泥沼が深刻化するにつれ、キャメロット計画の持つイデオロギ―的特性は批判を浴びるようになった。ウィリアム・フルブライトは、計画が他国の革命勢力がアメリカにとって不利益をなすこと・現行政権の保持が望ましいことが前提とされていると批判した。
  • 国防総省やSOROがキャメロット計画を「客観的」で「価値中立的」な試みであると説明していたことも、逆に批判者たちの不信を買った社会学者のアーヴィング・ホロウィッツは、計画に参与した社会科学者たちがそれと気づくことなくエスタブリッシュメント層の価値を前提としてしまっているのだと考え、同じく社会学者のハーバート・ブルーマーは、社会の安定性を前提することなくいかにして反乱が遂行されるか(etc.)を研究する道がありうると論じた。言語学者のノーアム・チョムスキーも反乱研究の反革命を前提した立場と学問の自律性のなさを批判した。
  • こうした批判を受けて、政府は国内外からの批判を招かないように研究を支援する新しい査読システムとセキュリティチェックの構築を急いだ(183-192)。
  • キャメロット計画の挫折が残した遺産は三つの観点からまとめられる。すなわち、研究支援、イデオロギ―、価値中立性の観点である。
    • (1)研究支援:キャメロット計画が中止された後の1966年、フレッド・ハリス上院議員による小委員会が海外における社会調査をいかに支援するかを討議した。この委員会の結論は、1965年の小委員会とは異なり、社会科学の過度の軍事化(overmilitarization)が進んでいるという危惧が広く共有されていることを認めた。
    • 人々は社会科学の自律性を損なうことなくそれを連邦が支援する手段が必要ではないかと考えた。ハリスは国立社会科学協会(National Social Science Foundation)の構想を抱いていたが、これは実現しなかった。
    • (2)イデオロギ―:キャメロット計画は社会科学とイデオロギ―の問題を重要な問題として押し上げた。イデオロギ―の問題は第二次世界大戦後の社会科学においては単に抹消されてきた。しかし、キャメロット計画の批判者たちは、客観的で価値中立的なはずの諸研究が、合衆国の現状を理想化するような価値に負荷されていることを明らかにした。
      • こうした当時の主流社会科学に対する攻撃は、機能主義と社会システム理論を取り込んだ多くの研究にも向けられた。タルコット・パーソンズは社会の諸要素やサブシステムの相互作用を予測し理解するための体系を作り出したが、こうした理論は諸要素の分裂よりも統合過程を強調するものだった。キャメロット計画は、こうした考えを利用し、社会の安定性はいかにして可能かを研究しようと試みた。
    • (3)価値中立性:キャメロット計画の挫折は、第二次大戦直後の社会科学が標榜していた価値中立性を強く疑わせるきっかけとなった(192-197)。
  • 結論:第二次世界大戦終結直後において、軍による研究支援は社会科学者たちの科学的正統性の確保のための戦いを大きく助けるように見えた。しかし、キャメロット計画の失敗は、政治-研究支援-社会科学間の密接な関係が科学とイデオロギ―の分離という当時の支配的な考え方を切り崩すという暗い結論を帰結した。
    • キャメロット計画は、専門家の導きによって社会変革を管理し革命を抑圧することでアメリカの利益になるような不公正な世界秩序を保持することを助けようとした。社会科学者は不偏的で客観的な科学者ではなく権力の下僕に過ぎなかったことが観て取られてしまったのである。
  • 当時の主流の科学への懐疑と挑戦は、確かに純粋にアカデミックな領域においても起こっていた。しかし、このキャメロット計画をめぐる論争こそが、それを一般公衆にも開かれたものとし、重要なターニングポイントとなったのである(197-198)。
  • Appendix(キャメロット計画への助言者のリスト・以下では目についた人のみピックアップ)
    • James S. Coleman, Johns Hopkins University, Sociology
    • Lewis Coser, Brandeis University, Sociology
    • William Kornhauser, UC Berkeley, Sociology
    • Thomas C. Schelling, Harvard University, Economics/Political Science
    • Gilbert Shapiro, Boston College, Sociology

コメント

  • 1960年代の機能主義への信頼の失墜と複数パラダイム化という話は、学部の社会学史の授業でもやるものの、なんとなく1960年代のベトナム反戦運動の高まりや大学紛争などの社会的背景と結びつけて説明されるか、あるいはそれこそノヴィックのように厳密に学説間の批判的乗り越えの試みという形で教わったため、キャメロット計画をめぐる政治的論争とその挫折という具体的な結節点があったのではないかという話は大変面白かった。
    • それに関連して、実はなぜタルコット・パーソンズに対してしばしば(彼の学説に必ずしも内在的論点でないにも関わらず)「決定論的・保守主義的理論」というレッテル貼りがなされてきたのかということが年来気になっていたのだが、この論文を読むとそうした批判者たちの直接のターゲットはパーソンズの理論そのものではなく、そのキャメロット計画における利用のされ方だったのではないかという気がしてきた。実際、上でまとめたようにブルーマーやホロウィッツはキャメロット論争に直接参加していたようだ。
    • ただし、これをちゃんと言うためには「キャメロット計画がパーソンズの考えを利用していた」というところをもうちょっと突っ込んで調べる必要があるように思われる。もし、そういう角度からのパーソンズ学説研究があったら教えてください(>識者)。
  • キャメロット計画についてはほとんど知らなかったのだけれども、テロリズム研究との関連という視点から言うと一応Stampnitzky(2013)の第三章に記述はあった。ベトナム戦争の失敗と並んで、counterinsurgency studies/policy(対反乱研究/政策)というプロジェクトが、1972年までになぜcounterterrorism studies/policyというラベルに付け変わったのかということの大きな要因として扱われているようだ。

追記

twitter上での補足的議論をまとめてくれた方がいましたので紹介します。

60年代の論争において客観性や価値中立性が批判されたのは、軍研究プログラムがそれを標榜していたから - togetterまとめ

Leudar, Ivan & Jiri Nekvapil, 2011, ”Practical Historians and Adversaries: 9/11 Revisited”

  • Leudar, Ivan & Jirí Nekvapil, 2011, "Practical Historians and Adversaries: 9/11 Revisited," Discourse and Society 22(1): 66-85.

http://das.sagepub.com/content/22/1/66.short


目次

  • Introduction: History as a source of everyday meaning
  • Alalysis - the 9/11 network revisited
    • Bush and Blair
    • British Muslim representatives
    • Osama bin Laden
  • Conclusion - practical historians and structured immediacy

内容

イントロダクション:日常的意味の源泉としての歴史

  • 著者たちが関心を持つのは、人々が活動の中で/活動によっていかにして歴史を生み出すのかということ、またそうした活動をいかにして歴史に結びつけるのかということ。
    • この探究は、アーロン・ギュルヴィッチの議論を受けてローダーとシャロックが作り出した「構造化された即時性(structural immediacy)」という分析的概念に導かれている。
    • 著者たちが探究するのは、参与者たちがいかにして行為のいま-ここ性と過去を結びつけることによってそれに豊かな意味を与えていくかということ。人々が活動の状況を歴史化するときに利用可能な共有された実践とは何か/そうした歴史化が可能にすることとは何か?こうした問いを、人々が「実践的な歴史家(Garfinkel 1968)」として行っていることを、資料を用いて示していくことによって解くこと。
    • 従来、過去と歴史の対比ということが言われてきた(Collingwoodなど)。歴史とは(単なる過去とは違って)専門的な訓練を受けたものが語る何かだというのである。しかし、歴史家としてトレーニングを積んでいない人も、歴史を書き、作り、歴史的に思考し、部分的には歴史的なものとして理解出来る状況において行動するといったことを行っている。しかも、人々はこれら全てのことを何らかの方法に則って行っているのである。
  • 人々の歴史にアプローチするやり方は様々ある。ひとつのやり方は、批判的言説分析の「言説-歴史」アプローチである。彼らは過去が歴史的言説によって表象されること、その際一つの歴史が他のありえた歴史を抑圧するということを強調する。彼らは歴史が社会的生活において果たす機能に関心を抱いていると言える。
    • これに対して、著者たちの関心は、歴史的物語とそれがもたらす大規模な葛藤よりも、歴史として定式化された過去を人々がローカルな活動において重要なものとみなすのはどのようにしてか、そしてそうした活動によって歴史を産出するのはどのようにしてか、といったことに向けられている。
  • 人々の歴史へのアプローチへの仕方には[人々の側の事情という観点で考えても]様々にある。人々が明示的に歴史を書くということも当然あるだろう(語りや自伝を書くといった行為によって)。
    • しかし、それが全てではない。人々はそれに適した状況を作り出すことで、歴史を活動の中に持ち込むということがある。人々は歴史のプロデューサーであるとともに、ユーザーでもあるのだ。歴史のユーザーとして、人々は現在の活動と歴史的な物語を結びつけ、活動に対して歴史に依存した意味を与える。このときに用いられる方法こそが著者たちの焦点なのである
  • もう一つのより大きな意味でも、我々が自らに対して抱く理解は歴史に依存している。例えば、我々が変化するとともに、我々についての理解と我々が行ってきたことについての理解は変化する(Fouucault 1986; Hacking 1995; Sharrock & Leudar 2002; Leudar & Sharrock 2003)。こうした歴史的な変化と偶然性は、単に人々の意識を超えた事実であるというよりも、人々の理解とアカウントの中に明示的に組み込まれたものである。
  • 上記のような実践的な歴史家としての人々の方法に焦点を当てること、具体的には政治的な談話という状況において歴史が導入され、意味を構成し、重要なものとなるのはいかにしてかということが、本稿において焦点となる。

ブッシュとブレア

  • 9/11テロ直後のブッシュの演説(http://edition.cnn.com/2001/US/09/11/bush.speech.text/)と、翌日9月12日のブッシュの演説の分析。
    • テロ攻撃は、テロの実行者と犠牲者の対比的な特徴(evil/virtue)を際立たせることによって意味を付与されているが、その際過去についての言及を全く欠いているという特徴がある。ガーフィンケル、リンチ、リヴィングストンらの用語で言うならば、ブッシュの演説は現在と未来についての「ローカルなディテール」を持っているが、回顧的なそれを欠いているのである。ここにおいて、ブッシュは攻撃がなぜなされたかを理解するための助けとなるような過去の様相を抹消していると見ることができる。
    • 9月12日の演説においては、さらに犠牲者の範囲がアメリカ市民から、自由を愛する人々へと拡張されていることを見ることができる。
  • こうした過去の様相の抹消は、幾分不徹底な形であるが、ブレアの演説にも見ることができる。ブレアは9.11テロに見られる狂信性と死を恐れない姿勢を新しい脅威として名指すことによって、過去とのリンクを部分的に導入している。しかし、こうした回顧的なディテールはひどく曖昧なものであって、攻撃を理解する(account for)ために用いられているわけではない(74)。

イギリスのムスリムコミュニティ

  • ムスリムコミュニティは、テロを彼らをも攻撃するようなものであると非難しつつ、それへの対応は無関係なムスリムへの攻撃へと転化しないようなものであるべきだと論じていた。ある声明は、1995年のオクラホマ市庁舎爆破事件[訳注:無関係のムスリムへの迫害が生じた]を引き合いに出していた。ブッシュ、ブレア、ムスリムコミュニティは、いずれも未来において特定の行動が可能となるような出来事の定式化を採用するという、似たような方法を用いていた(もちろん具体的にどのような行動を可能とするかは異なっている。ブッシュとブレアが対テロ戦争を念頭においていた一方、ムスリムコミュニティはイギリスのムスリムへの攻撃への抑制を論じている)。
    • これとは異なり、ムスリムコミュニティの中には、イギリスの植民地支配の過去に言及することで、テロの背景を指し示すような声明もあった。しかし、このように政治的声明に歴史的背景を与えるという活動は、詳細を詳しく述べるというよりも、漠然と共有された歴史的知識へのポインタを与えることに留まっていた。

オサマ・ビン・ラディン

  • 9.11テロ後にビン・ラディンアル・ジャジーラ上で発表したいくつかの声明についての分析。
    • ビン・ラディンが歴史を呼び出す一つのやり方は、現在の事件を指示するために、十字軍、殉教者、預言者といった宗教的語彙を用いることである。
    • もう一つのやり方は、ソ連によるアフガン侵攻や、「80年間に及ぶ屈辱」といった歴史的定式化を用いることによって、具体的な歴史を喚起させることである。彼はこれによって、ブレアが9.11テロを新しい脅威と提示していたのとは対照的に、9.11テロを「些細なこと」であり、むしろ抵抗の表れとして示すことが可能となっているのである。
    • 9.11テロに対する歴史的な前例を与えることによって、彼は長年続いてきたムスリムへの攻撃と関連した形でそれらの出来事を文脈化するのである(79)。こうした実践的な歴史家としてのワークは、9.11テロをもたらした行為者についてのメンバーシップカテゴリーをずらすことを可能にする――すなわち、彼らは残虐行為の実行者から、無辜の犠牲者に変わって戦う闘士であり潜在的な殉教者へとなるのである。こうしたビン・ラディンの語る歴史は、9/11に転換点を見いだすブッシュやブレアとは対照的なものだ。とはいえ、ここでも呼び出される歴史的前例は、過去全体を漠然と指示するようなポインタとしての役割を持つに留まっている。

結論

  • 著者たちは「構造化された即時性」という概念を導入し、「いま-ここ」から抜き出された文脈が、参与者たちの行為によって/において現実化されることによって、どのようにしてその状況に即時的なものとなるかに注目してきた。著者たちは「いま-ここ」が原初的で感覚的な経験であるという見方に抗して、「いま-ここ」がインデックス性を持っており、特定の構想の下において参与者たちの個人的・共同的な活動によって構造化されたものだと捉えた(80)。
  • 上記の分析において、9.11テロは様々な記述の下において理解されていることが示されてきた。特に、歴史のワークを行うやり方には特徴的な二つのやり方があった。
    • 一つは、歴史的な出来事を状況に導入することによって、現在の活動を歴史的に位置づけることである。
      • 導入された出来事は、単に弱い歴史的つながりを提供するのではない。それらは、現在の出来事の深刻さを強め/弱めたり、特定の未来を想像しやすくしたり、現在の行為や行為者をカテゴリーの集合の下においたりといった、ローカルな会話における様々なやり方のために用いられる。
      • つまり、歴史的な出来事は人々と活動についての記述を厚くする(Ryle 1968)ため、すなわちそれ以外のやり方では持ちえないような意味を与えるために用いられるのである。
    • もう一つは、現在の行為者が参与している出来事の意味を定式化を通じて固定することで、未来の歴史をコントロールすることである。
      • この戦略は、しばしば、過去を抹消し歴史が特別な意味を持つ現在の出来事から始まるのだと主張するという形をとる。
    • 歴史化することは双頭の相貌を持っている。一つの側面は、現在の出来事を選ばれた過去の先例に関連づけるということを行う。もう一つの側面は、未来の出来事を状況づけるために[将来において?]利用可能な歴史的出来事に[予め?]制約をかけるということを行うのである(81)。

感想

  • 書き方としては、「構造化された即時性に関心があるので、それを9.11テロ後の演説や声明のなかでどう扱われているのかを探ります」ということになっているのだが、私自身はこういう書き方はできないなー、と思った(雑誌ごとに期待される文脈は違うので、これは各自ががんばるしかないのだが)。
  • 内容としては、ブッシュによる過去の抹消、ブレアによる不徹底な過去の抹消が、対テロ戦争を可能にした、というようなことが書かれているが、本当はブッシュ+ブレアがそういう形で歴史を描いたということと、対テロ戦争という政策が実行されたということの間には、もう少しステップがある感じがする(単純に対テロ戦争の明確な定式化といったら、普通2002年のNational Security Strategy of the United Statesを参照するだろうというような常識的な意味において)。でも、それは我々がフォロワーとしてやっていけばよいか。