06/03/19-06/09/19

  • ESRCのWriting-Up Bursaryのようなものに通ったので来年の始め頃に再びエディンバラ大学に二週間ほど滞在できることになった。やったぜ。
  • さらに5月末まで取り組んでいた某共著論文がひと段落したので、多少講義準備などに関連する幅広い本を読む暇もできた。 
動物からの倫理学入門

動物からの倫理学入門

 
  • この動物倫理本の前半の4章分を何度か読み返し(もう今年の3月からヴィーガンになってはいたのだが)今更ながら色々と頭が整理された。
  • 「なぜ(動物を食べてはいけないのに)植物は食べてもいいのか」と非ヴィーガンに問われた場合の標準的な答えというものをヴィーガンの側は持っており、 それは例えば「動物には脳と神経系のセットが備わっており意識経験があるが、植物にはそれらはない」というようなものになる。こういうことはヴィーガニズムについての入門書を読めば大体書いてある。
  • しかしこうした答えだけを単独で切り離して見ると、特に契約論的リベラルに慣れ親しんだ立場からは、よくて突飛、悪くすると不穏なもののように映る、ということはある気がする(というか私自身最近までなんとなくそう思っていた)。
  • というのは、この答え方自体には「ある生物が持つ事実にかなり厳密に対応するかたちで権利を配分する」という論法が含まれているように見え、それは「少なくとも人間同士の間においてはいかなる事実的特性を持っていようが等しい権利を配分していく」という従来のリベラリズムが基本的には踏襲してきた契約論的発想とはうまくフィットしないように見えてしまうからである。
  • しかしながら、契約論的発想とヴィーガニズムを両立させるやり方もあるということが、この本の前半部と結論を読むことでおおよそ掴むことができた。 つまり、その人が持つ特性はどうであれ人間であるということを理由に幅広く権利を認めようと努力してきた我々の歴史を尊重しつつ、そうした権利を人間以外にも拡張するというステップ――そしてこの拡張という指し手そのものは普遍化可能性の基準(テスト)で基本的には正当化できるだろう――においては生物学的事実を用いる、ということにすれば、おそらく動物の権利と契約論的リベラリズムの発想は整合的なものとして理解することができるようになる。
  • 時間を見つけて第II部の発展編も読んでいこうと思った。
大学で学ぶ議論の技法

大学で学ぶ議論の技法

 
  • 去年あたりからいくつかの大学の初年次教育にも携わることになったので、割といい評判を聞いたこのテキストの前半部を読んだ。
  • そのまま使うにはレポートの例などが(文化的な違いなどゆえに)ちょっとハードルが高いかなと思わせるところもあるが、確かによい本だと思った。立場の分かれうる社会的なトピック(例えば死刑・中絶・動物の権利)について、根拠を挙げて自分の意見を述べるということが出来るようになるために必要な事柄が十分に書かれているという印象を持った。
  • 最近いくつかの大学が独自に作成しているアカデミックライティングのガイドブックと比較すると①型をそれほど重視しない②事実をまとめることより意見を述べることを重視する、という二点において明らかに違いがあるのだが、そういう点も含めて自らを相対化する*1ために教員は読んでおいたほうがよい気がする。
  • 多分日米の大学のライティングで何を教えるかということにおいてこうした違いが出てくるのは、学部で卒論を課すかどうかなどの違いも効いているのではないだろうかと思った。

*1:日本のライティングの講義において「レポートでは意見ではなく事実を書け」とか「自分の経験は書くな」みたいなことを課題の分析抜きにドグマティックに教えたりするのは正直どうかと思う。